艸居では、秋永邦洋個展「存在/ 不在」を開催いたします。弊廊では初めての個展となります。本展では、架空動物やその対極にある身近な動物を題材に「恒久性」と「儚さ」を表現した新シリーズ(第一部)と、これまでの骨格シリーズである「擬態化」に更なる展開を示した作品(第二部)を展示いたします。本展では、コロナ渦で、スタジオという限られた一室に篭ることを余儀なくされた秋永が、さまざまな思考を廻らせ新しい方向性を示した作品群を2部立で展示いたします。
第一部
近年は、架空動物をモチーフに制作することが多くなりました。それは現実と非現実、人と動物など様々な境界が曖昧になっている様に感じるからです。― 秋永邦洋
日本で古来から神聖視されてきた獅子や鳳凰といった架空動物と、その対極の存在である長年ペットとして愛されてきた犬や猫などの身近な動物をモチーフに、近年薄れつつある存在と不在の境界線の曖昧さを具現化しようと試みる秋永。我々の暮らす社会は、溢れる情報に覆われ実態が見えにくくなっています。またネットを介して仮想世界と接することのできる現代社会では、目の前に広がる世界が果たして現実なのか、或いは非現実なのかうまく判別がつきません。一方で、目まぐるしい科学技術の進歩により、以前は人間の欲望の中でしか存在し得なかった空想上の出来事が現実になりつつあります。例えば近年話題を集める脳のデジタル化に関する研究。脳の情報をデータ化し保存することで、人間の死後、肉体が不在でも擬似的にネットワーク上で存在し続けることが可能となるかもしれません。
存在とは何か?秋永の手掛ける動物たちを眺めていると、まるで彼らが現実世界に存在しているかのような錯覚に陥ります。本展を通して存在と不在、我々の従来の理解を改めて問う展示構成となっております。
第二部
これまで秋永は「装飾の力」をテーマに「擬態化」シリーズの制作を続けてきました。過剰な装飾が施された教会や寺院など装飾的立体物から着想を得て作り出された作品は、脊椎動物の骨格をモチーフに、手捻りで形成した骨のパーツを一枚一枚積み重ねて形成されていきます。
実在するサルやヘラサギに加え、本展では初展示となる龍やケンタウロスなどの架空動物を展示いたします。装飾する行為とは何か?装飾とは人間の欲望を満たす行為であり、物事の本質を偽装してしまう行為ではないかと秋永は考えます。化粧やアクセサリー、服飾、刺青など、美しく見せたい、強く見せたいという願望や虚栄心から人は自らを装飾します。
動物を形作ると同時に死を表す「骨格」と「装飾」を組み合わせることで「偽装と欲望」、「儚さ」を表現します。クリスマスのチキンの持ち手についた飾りからは食事を楽しみたいという人間の欲望の恒久性が感じ取れ、食事が終わりゴミとなった骨と装飾からは、人間の欲望を満たした後の儚さを感じ取ることができます。装飾が施されることで、動物の死は偽装され、動物の生と死、人間と動物の関係性が曖昧になっています。陶は割れなければ縄文土器のように恒久的に残存します。第二部では、恒久性と儚さを持ち合わせる陶で表現された作品を通して、装飾というベールに覆われた物事の本質を探究していただければ幸いです。