本展では、ハマーの代表作である、多彩でエキゾチックな動物の皮と金箔押しを特 徴とするマケトリー(木象嵌)作品、四国産の手漉き和紙に描写したドローイング作 品、陶作品と、ユダヤ人と日本人という異文化間に成り立つ友情や共感から始まった というハマー作品の丸川コレクションより貴重な過去作を展示し、作家のこれまでの 活動が最新作とどのような繋がりを持っているのかを検証します。
世界的な移⺠問題や自身の家系がたどってきた歴史に触発されたハマーは今回、継 続的に展開している《Kovno/Kobe》(コブノ/神戶)プロジェクトの最新作を発表し ます。リトアニアのコブノ(現・カウナス)のユダヤ人が日本人外交官・杉原千畝 (すぎはら ちうね)の「命のビザ」発給によって大挙して国外へと逃れ、ロシアを経 てやがて神戶で逗留するという第二次世界大戦中に起こった出来事を見つめるプロジ ェクトです。
杉原千畝は、1924 年に中国のハルビン日本領事館に外交官として就任し、1939 年 にリトアニアの在カウナス日本領事館領事代理になりました。ナチスによるユダヤ人 迫害も激しさを増し、受け入れ先がなくなり、ポーランドからリトアニアに逃亡して きたユダヤ避難⺠が、閉鎖間際の日本領事館に通過ビザを求めて来ました。
「正規の手続きができない者に、ビザを出してはいけない」と外務省に命令された にもかかわらず、杉原はビザを発給しユダヤ人の命を救う道を選びました。一人でも 多くの命を救うために、入国ビザを必要としない南米キュラソー行きの「命のビザ」 を少しの時間も惜しんで書き続けた杉原は、領事館を退去した後もホテルで渡航許可 証を書き続けました。出国前最後の日、駅まで押し掛けてきたユダヤ人たちにも発車 間際まで渡航許可証を書き、最後の渡航許可証は車窓から手渡したのでした。1ヶ月 間で発給したビザは 2139 通になります。
日本通過ビザを取得したユダヤ人避難⺠は、鉄道でシベリアを横断し、ウラジオスト クより敦賀に日本に上陸しました。彼らが世界各国へ避難する途中経由した神戶およ び横浜の文化は、ユダヤ文化とは大きく異なるものでした。
「急激かつ突発的に異文化に接するとき、他者というものはどう見えてくるのだろう か」‒‒‒ この自身の問いに対しハマーは記号論(記号、シンボル、用途、解釈を中心 とする思想体系)を援用して解き明かそうとします。アウトサイダーの誤解と曲解された日本像が織りなす日本の歴史を思うとき、この問いはいっそう強い関連性を帯び てきます。難⺠の受け入れ側は難⺠をどう見ているのか?そして、その逆はどうだろ うと‒‒‒。初めて日本へやってきた⻄欧人が経験した文化的衝突を描き出す 16 世紀の 南蛮屏風から着想を得たハマー作品は、神戶に逗留した東欧諸国のユダヤ人の経験へ の共鳴を試みます。ハマー作品《Operation Octopus》は記号論的な表象というテーマ に深く入り込んでゆき、タコをユダヤ人に替わるイメージとしてとらえ、ユダヤ人難 ⺠の巻き毛の髪をタコの足になぞらえています。
京都・蛸薬師(たこやくし)堂に伝わる、よく知られた逸話があります。戒律を破 った僧侶が、死にゆく御母堂が食べたいと望んだことから生きたままのタコをたずさ えて京のまちを歩いたという説話、ハマーはこれを今回の展示の中心に据えていま す。‒‒‒住職や寺内の僧侶が、道ゆくこの僧侶を捕まえて箱の中身は何かと問いかけ、 背徳の僧侶が箱の蓋を開けると目を疑う光景がそこにありました。タコは箱の中で経 典に姿を変えていたのです‒‒‒。ユダヤ教理を修めた者は、数百人単位の虐殺がありな がらも、杉原千畝の手によって救済され日本へと逃れました。ハマーがタコの足にな ぞらえている、巻き毛をたたえる若いユダヤ人学者の大部分は、ユダヤ教の経典であ るトーラの巻物の守護役を務めていました。今回、ハマーは蛸薬師道の伝承を持ち込 んで、コブノから神戶へたどったユダヤ人の記号論的な解釈に重ね合わせています。
行き場を失い離散した人びとに起こる自己性の変容と崩壊‒‒‒多彩でエキゾチックな 動物の皮を配し、制作には骨の折れるマケトリー作品ですが、ハマーは半ば抽象的か つ比喩的なスタイルで、断片化されたアイデンティティのパズルというべきものを精 緻に再構成しています。本作品で描写されるタコは、羊皮に綴られたトーラへと、ま ざまざとその姿を変えます。
本個展の表題作《Operation Octopus, 2020》は、サケ、リザードシャーク、カエ ル、ビーバーの尻尾、アザラシ、ヘビ、エイなどの皮を配した木象嵌作品で、1930 年 代の日本を魅了した、アールデコの影響が色濃いヨーロッパ的なデザインを取り入れ ています。本作品が示唆するものは、動物が経典へと変貌を遂げるなかで生まれる奇 跡的な瞬間であり、異文化間での解釈の相違を下敷きとした鏡像です。本大型作品で は、帽子の中にあるタコは敬虔な巻き髪のユダヤ人に、カニの甲羅に見立てた巻物の 上端にあるトーラ冠はカニへと、それぞれの形態の変容が見て取れます。
この大型作品に加えて、今回 3 点の小さなレザーパネル作品も展示し、大型作品と 同様にユダヤ人になぞらえたタコが経典に変化を遂げる瞬間を見つめます。そのほ か、同じく京都に伝わる伝承を取り上げたドローイング 7 点、タコが本を象った木製 ブロックに姿を変える陶作品 3 点も紹介いたします。
ジョナサン・ハマー
1960 年シカゴ生まれ。現在スペインに在住し制作。これまでに 45 回以上の個展を 様々な国にて行う。30 年に渡りドローイングや写真、書籍、彫刻、陶、版画などに加 え、代名詞でもある珍しい動物たちの皮を繋ぎ合わせた装飾パネルを作成。これまで ドイツ、スイス、ノルウェー、フランス、イギリス、アメリカ、メキシコ、そして日 本にて幅広く展示を行っている。ニューヨークでは 10 回の個展を開催(そのうち 5 回 はマシュー・マークス・ギャラリーにて)。美術館での数多くのグループ展に加え、 ジュネーヴ現代美術センター(ジュネーヴ・スイス)やバークレー美術館(バークレ ー・カリフォルニア・アメリカ)、ダーフナー美術館(ブロンクス・ニューヨーク・ アメリカ)にて個展を行っている。コレクションには、ニューヨーク近代美術館(ニ ューヨーク・アメリカ)、サンフランシスコ近代美術館(サンフランシスコ・カリフ ォルニア・アメリカ)、ロサンゼルス現代美術館(ロサンゼルス・カリフォルニア・ アメリカ)、アーマンド・ハマー美術館(ロサンゼルス・カリフォルニア・アメリ カ)、バークレー美術館(バークレー・カリフォルニア・アメリカ)、ホイットニー 美術館(ニューヨーク・アメリカ)、ジュメックス・コレクション(メキシコ)など がある。出版物には『球と金槌(BALL AND HAMMER)』(エール大学出版、2002 年)があり、チューリッヒ・ダダに関する批評を執筆している。入賞歴には、アー ト・マターズ・ニューヨーク、プロ・ヘルヴェチア(スイス・アート・カウンシル)、 ニューヨーク・ユダヤ文化記念財団、ポロック・クラスナー財団、ピュー慈善信託などが ある。また、スペインのアーティスト・イン・レジデンス「ヴィラ・ベルジュリー」の創 設者である。