村山まりあ:Stuffed animals

村山の作品において、「認識する」という行為が欠かす事の出来ない要素となっています。村山の言う「認識する」という行為五感から得た情報を自身の記憶や経験等により解釈し、対象に作り上げたイメージを投影すること。」です。人が自分の見識から相手を識別、カテゴライズする事は、いつしかその人の本質を覆い隠してしまいます。絨毯や花柄で覆われた小動物は、そのような村山自身の実体験を転写紙を重ねて行く事で表現しています。白や透明のラスターに焼成を繰り返しながら色彩や模様を重ねて行く過程も、外発的にレッテル化され本質が見えなくなる人間関係を表しています。

 

Stuffed animals」のシリーズは、村山が友人宅で日常の空間に置かれた剥製を見た事が制作の源を発しています。村山は動物の死体が外的作用が加わる事で、実質を離れ、別の概念を得る事に興味を持ちました。矢が刺さったり、出血している剥製の小動物が、新たな生命を吹き込まれたかの様に、カップやスープポット等の既製品の上に立っていたり、草原を躍動的に駆け巡ったりしています村山の作品は死と生が逆転した、死と生の狭間に存在しています。EKWCでのレジデンス以降、新たに挑戦しているDプリンターを導入して制作された子供の玩具家具は子供の遊びの中で繰り広げられる、残酷なハイアラキーを示唆しています。そんな家具の上に座る兎がこちらを向いて座っている姿は、私達の日常に介入する機会を待ち伺っているかのようです。